ウンベルトエーコ「薔薇の名前」

薔薇の名前〈上〉 薔薇の名前〈下〉

文庫版 鉄鼠の檻 (講談社文庫) のあとがきを読んで気になったので購入。

薔薇の名前」は14世紀のヨーロッパの修道院を舞台をする推理小説。キャラクターの配置と宗教的な理由が殺人の動機になっている点といい「鉄鼠の檻」の元ネタであることが分かる。

事件の鍵となるのは、大アリストテレスの失われた「詩学」第二部。
中世キリスト教は、キリストは笑わなかったと信じており、「笑い」を否定する信仰を持っていた。だが失われた「詩学」第二部には、「人間だけが笑いの能力を備えている」という笑いを肯定した記述があるという。そのあってはならない本が「僧院」の図書館には隠されているのだ。本を巡る殺人事件に、当時の修道会による宗教改革、異端論議、神学論争が複雑に絡み合ってゆく。

物語の背景は複雑だ。
フランチェスコ会は「キリストや使徒たちは個人的な所有物を持たなかった」という「キリストの清貧」を信仰の真理として公に認めた。しかしアヴィニョン教皇庁教皇ヨハネス22世は、この考え方は異端であると断罪しようとする。それは司教の選出権という教会の世俗権を危うくする理論だからである。そのため教皇側を抑えるこみたい神聖ローマ皇帝ルートヴィッヒはフランチェスコ会の後ろ盾となろうとする。
ついに教皇フランチェスコ会の総長ミケーレ・ダ・チェゼーナアヴィニョンに召還するのだが、このままミケーレが赴けば異端尋問にかけられ殺されてしまうだろう。そこでミケーレが教皇庁に赴く前に彼の安全を保証できるだけの合意を得ようと、1327年に教皇派・皇帝派・フランチェスコ会の代表が北イタリアの「僧院」に集まり会談を設けるにことになる。

物語は舞台となる「僧院」にこの手記の著者であるベネディクト会見習い修道士である「私」メルクのアドソと、師でありフランチェスコ会修道士バスカヴィルのウィリアムが一緒に到着する所から始まる。ウィリアムらが到着した日から七日の間に、僧院の中では僧侶達が次々と殺害され、その死体はヨハネの黙示録に「見立て」られて様子で発見されることになる。僧院長から依頼をうけた師ウィリアム修道士は「探偵役」となって事件を推理していき、「私」はそのワトソンとなって師の聞き役となる。

ところでこの本の魅力は、本編となる「推理小説」だけでなく、その裏側で動いているフランチェスコ会教皇側との会談・その背景を解説する清貧論争・異端論議・当時の政局などの薀蓄であろう。舞台となる僧院も会談も架空のものだが、登場人物の何人かは実在の人間であり、推理小説である前に歴史小説として読むことができる。
ただ登場人物が語る話は当時の宗教観と各々の立場に縛られたものなので、現代社会を生きる我々にはなんとも理解しがたい。唯一探偵役のウィリアムには、時代を超越したような近代合理主義的な考え方を作者から与えられていて、われわれの時代と14世紀の橋渡し役も果たすことになる。


P.S.
私が 2,415円 x2 = 4,830 円で買った本を、210円で手に入れた人がいるなんて (id:ooh:20050723#p4)