ストーンヘンジの石はどこから来たか

GIZMODO の記事によるとイギリスにあるストーンヘンジの石のうち輪の中にある寝っころがっている石(ブルーストーン)が160マイル(257.5km)離れたウェールズ州ペンブロークシャーの Craig Rhos-y-Felin から運び込まれたことが判明した。

この記事を見て「古代文明の謎はどこまで解けたか〈1〉失われた世界と驚異の建築物・篇」には、ストーンヘンジはマーリンが魔法で飛ばしたと言うのを思い出した。

古代文明の謎はどこまで解けたか〈1〉失われた世界と驚異の建築物・篇 (Skeptic library (07))

古代文明の謎はどこまで解けたか〈1〉失われた世界と驚異の建築物・篇 (Skeptic library (07))

P.261
ストーンヘンジの記述が最初に現れるのは、紀元1130年頃にイングランドの歴史を書いた、ハンティンドンのヘンリーという聖職者の著作の中である。
(中略)
推測を述べることを避けたヘンリーの慎重な記述は、同時代の人びとに受けがよくなかった。その数年後に出た、モンマスのジェフリーによる威勢の良い説明の方がずっと好まれたようだ。
ジェフリーによると、ブリトン人(ケルト人の一派。前6世紀頃に元住地のヨーロッパ大陸からブリテン島に移住し先住者ブリテン人を征服)の王アウレリウス・アンブロシウス(伝説によるとアーサー王のおじ)が魔術師マーリンにストーンヘンジを築かせたという。目的は、サクソン人の裏切りで無防備なまま殺害されたブリトン人の名もない貴族たちを追悼することだった。興味深いことにジェフリーは、すでにアイルランドに造られていた石のサークルを、マーリンが魔法を使ってイングランドに持ち込んだと述べている。

P.270
ストーンヘンジが造られた年代を知るだけでは、まだ全体像は分からない。ほかの巨石モニュメントの場合と同様、ストーンヘンジがどうやって建造されたかという問題も議論の的になってきた。モンマスのジェフリーならためらいもなく答えるだろうーマーリンがアンボロシウスに、すでにアイルランドに造られたストーンサークルを移せばいと助言した、と。

アイルランドのキララス山にある巨人の環を取りにやりなさい。そこに石の構造物があって、それは、優れた機知と技術を併せ持っていないかぎり、現在では誰も立てられるようなものではありません。それは巨大な石で……いま向こうにある通りにこの場所に配置されれば、永久にここに立っていることになるでしょう……何年も前、巨人たちがアイルランドに住んでいた頃、彼らはアフリカの奥地から石を運んできて、アイルランドに立てたのです。

ちなみにこの本にはサーセン石(立っている方の石)の産地は19世紀までに20マイルほど北の山であることが同定でき、ブルーストーンは1923年に地質調査所のD・H・トマス博士がウェールズ南西部のプレセリ産地であることを同定した、と書いてある。って、ありゃ GIZMODO の記事に載っている地質学者は何を発見したんだっけ?